本記事は自分史活用推進協議会のブログより転載しました。
「人生百年、自分史で開こう新時代!」と語る自分史活用推進協議会代表理事の河野初江の動画を、自分史活用推進協議会のYouTubeチャンネルで公開しました。
どうぞご覧ください。
動画の中で、河野代表理事は次のように語っています。
夢はなんですか?
人生百年ということが言われるようになりました。
若い頃は、あと何年生きられるかと考えたりしませんが、人生も半ばを過ぎるとごく自然に「あと何年これができるだろうか」と考えたり、残りの年数を数えたり、そこから逆算して行動をしたりするようになります。
人生の最終章にさしかかったときに元気なシニアと、元気をなくしているシニアとの違いは、どうすれば自分の夢が叶うのかと考えて行動してきた人と、そうでない人の違いであると言います。
自分の夢を意識して生きた人は、人生の最終章でも自分の人生に対し誇りを持ち、人生を肯定して生きているそうです。
幼い頃にあこがれていたもの、その中ですでに実現した夢は何ですか?
実現されなかった夢で、残り時間で実現できそうな夢は何でしょう。
そのために何をすればよいですか?
夢を吟味し、その実現に向かって歩もうとするとき、人生は生き抜くに値するカラフルな世界になります。
思えば叶う
思えば叶う、と言います。
何を願えば良いかわかっていれば、その実現に向かって努力をすることは比較的たやすいように思います。
むしろやっかいなのは、自分が何を願っているのか、自分の夢は何なのかを知ることです。
私もそうでした。
自分が何をしたいのか、本気で考えることなく仕事に明け暮れました。
そのツケが52歳の時にやってきました。
がんの告知を受けたのです。
病気になって初めて、自分が本当にやりたいことは何だったのかと考えるようになりました。
そのようなとき、1冊の本が届きます。
リクルートの創業者、江副浩正氏の自叙伝『かもめが翔んだ日』です。
本の見返しに江副さんの直筆で「河野初江様 ようやく出版の運びとなりました。お手伝いに深謝しています」と書いてありました。
江副さんは平成元年、1989年2月にリクルート事件で逮捕され、現役真っただ中の50代で経営の第一線を退きました。
裁判は10年以上に及び、2003年3月に結審し、有罪判決(懲役3年、執行猶予4年)が確定しました。
裁判に明け暮れるなか、江副さんは時間をかけて自分史を書いていて、私はそれを手伝っていました。
その本が、私が抗がん剤の治療を受けているときに完成し、我が家に届いたのです。
病んでわかった進むべき道
私は自分が病んでみて、ようやくわかったのです。
江副さんが社会から切り離され、心が大きく打ちのめされて沈みそうなとき、自分の人生を振り返って自分史を作ることで、心の平穏を保っていたということに。
そしてやっと、自分がどんなに江副さんに必要とされていたのか、ということに気が付きました。
完成した本を通して江副さんに「君はこういうことをこれからもやっていきなさい」「僕にやってくれたように、一人ひとりの話をよく聞いてあげなさい」と背中を押されているような気がしました。
こうして私は自分史と出会い、自分史活用推進協議会と出会い、代表理事を務めています。
貴方の物語を、みんなの歴史にするために
病気になる前の私は、「なぜ編集をしているのですか」と聞かれれば、「これが得意だからです」と答えたと思います。
でも今は、それだけではありません。私が自分史作りをしているのは、一人ひとりの物語を、みんなの歴史にするためです。
誰もが、その人しか語りえない物語を持っています。それを掘り起こし、記録し、本にすることで、誰かが読み、その人の心に残り、生きる力を与えます。
明治の時代、日本は息せききって先進国に追いつこうとしていました。
仰ぎみる雲を追うように若者が生きたその時代を司馬遼太郎氏は『坂の上の雲』という表題で描きましたが、人生百年の時代は年金、雇用、医療、介護……と限りなく問題があり、ひとつの坂を登りきったらまた坂がある坂の上は坂の時代である、という人がいます。
たしかに今は、坂の上にはまた坂がある坂また坂の時代かもしれません。
けれども、どんなにたくさんの坂があろうと、人生百年の時代こそ、坂の上には雲があり、「夢」があると信じて歩んでいきたいものです。
答えは自分史の中にある
目指すべき「夢」の答えは、一人ひとり歩んできた過去の出会いと出来事の中にあります。
私が、江副さんの1冊の本から、その答えを受け取ったように。
過去の出会いや、出来事の中にある、自分らしく生きる!ヒントを見つけるために、自分史を役立てていただきたいと思います。
人生百年は、まさに坂の上の雲の上にある「夢」を目指して歩んでいく時代であり、自分史の時代です。