グラフィック自分史作品

グラフィック自分史作品

『あなたがいたからできたこと』
書道家 遠藤夕幻 作品集

企画 遠藤夕幻 officemigi
編集 林建次 高橋実
デザイン 高橋実
写真・文 林建次
A4判オールカラー 112ページ

「これまでの半生を描いた作品集を作りたいんです」

それが始まりだった。
若き書家、遠藤夕幻と出会って5年は経っていたであろうか。当時から鼻っ柱が強く「俺が一番だ」というような、若者が持ち得るいい意味での生意気さがあった。

夕幻は書道道具を積んだバイクで日本一周の旅に出て、日本の各地で真っ向から人と向き合い、ときに励まされ、あるいはへし折られ、世襲のある世界に属することなく己の書で生きていくことを絶対の使命として、七顚八起しながら書を描き続けた。そして自身の書の基礎となる「無添加書道」に辿り着く。
そして、母の癌の発病とともに_実家の小岩に戻り、闘病する母とふたりだけの生活が始まる。母の命と向き合いながら生まれていった作品たち。
私はその節目で偶然にも夕幻が作品を描く姿を撮っていた。あるイベントで母が亡くなる前に書いた想い。そして亡くなった母への言葉。夕幻は母の一周忌にあたる8月26日に個展を開催する計画を立てていた。それと同時に作品集を創りたいとのことだった。

夕幻のこれまでのすべて。
なぜ書道だったのか、どこから影響されたのか、幼いころの家庭環境、日本一周のこと、無添加書道とは。母の命と向き合った1年半から生み出されてきた作品の背景。それらを掘り起こし、ひとつひとつを振り返るながらふたりで並走していく日々が始まる。そこから生まれてくるあらたな物語。
そしてこの作品集のタイトルとなる書を、意味のある日に意味のある場所で、書くことになる。

「あたながいたからできたこと」

単なる書家の作品という枠にとどまらず、ひとりの若者の向こう見ずな生き方と、その成長、そして消えゆく命と向き合った家族の物語。
半年間、身を削るような想いで創り上げた。夕幻と共に並走することで、写真と文のまったく新しいドキュメントの手法を創り上ることができたように思う。夕幻と真っ向から向き合った作品集。
(文・林建次)

 


 

『蒼き魂の躍動』
駒沢大学アメリカンフットボール部
2012年ドキュメント

上製本
編集 林建次 高橋実
デザイン 高橋実
写真・文 林建次
B5判 オールカラー 144ページ

たとえば80対1、という対峙

例えばボクサーのように1対1という関係で撮影していくこと。これは寄り添っていくという意味で対象と深くコミットすることは可能だ。それが複数人いても問題はない。
だが、部員、マネージャー総勢80人を超えるドキュメントをたったひとりでコミットして1冊の本にすることは果たして可能なのだろうか?
しかもリングとは違い、彼らのフィールドは練習でも試合でも果てしなく広い。ありきたりなアルバムではなくて、これまでにない青春群像を描いて欲しいという依頼だった。

80対1というこれまでに経験したことのない対象と一気に向き合う。
私はフールドの外で望遠レンズを構えて撮ろうなどとは考えなかった。
ボクサーたちと同じく、その息遣いが分かる距離で撮影すること。80人が散らばるフィールドに堂々と入って至近距離で撮っていく。誰だ誰だかは分からないが、目に付いた奴から容赦なくシャッターを切っていった。突っ走っていくとことのすれすれだったり、方で息をして立ち止まっている彼らに50センチまで接近して接写した。
我ながら無茶苦茶だといっていい。しかし、これは私がこの距離で撮るということを認知させることと、「外からではなく精神的にも中に入っていきますよ」という意味だった。だから気を抜いているようだったら「その間抜けな姿も撮っちまうぞ」という、ある種の緊張も持たせることだった。
撮られてる、観られてる、ということで気が抜けない、あるいはモチベーションが上がるといった要素。これはマンネリしてしまうチームにあたらな空気を持たせる監督の意図もあった。

80対1のエネルギーは、凄まじい覚悟を持って取り組まなければ当然負けてしまう。彼らとともにフールドを必死で駆け回っていくうちに、私はチーム内の空気の一部になっていった。
そうして5月から12月まで彼らと並走した。駒沢は2部優勝し、1部の入れ替え戦で無念の敗退。泣き崩れる4年生たちをほぼ同時に全員一気に撮り下ろした。これが可能になったのは偶然というよりも、あきらかに呼び寄せたと思う。ずっとある緊張状態を維持することで導かれて撮らせてらえるようなことは度々あるものだ。

このドキュメントの物語は私が誘導していった要素もある。インタビューしていく中で、主将が思い悩んでいた時期がある。その時に私は確かこんなようなことを敢えて投げかけた。

「確かに勝てるチームにする意識も大事だが、縁の下の仲間たち、試合に出れない仲間たちもいる。そんな彼らに何かを与えるのも主将の大事な仕事かもしれない」

そして彼は最後の試合に行動に移す。
かつて二年生の時にハードヒットによって脳出血した同期がいた。生活に問題なく回復したが、選手として退かなければならなくなった。その同期はスタッフとしてチームをサポートする側に回り、その献身的な働きは誰もが認める存在になっていた。
その同期がかつて選手としてにつけていた背番号は「16」だった。主将は最後の試合となる1部入れ替え戦という大舞台で、「16」と刻まれたシールを選手全員のヘルメットに付けさせるように指示を出した。「16」が入ったヘルメットを被り、チームメイトが最後のフィールドへ駆け出していく。これまでのサポートの感謝と同時に「お前も共に闘うの選手なのだ」という無言のメッセージ。
同期は堪えきれず涙したのはいうまでもない。
(文・林建次)

 

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