本記事は自分史活用推進協議会のブログより転載しました。
「幸せの自分史づくり」で幸せにと、らしくラボを主宰する河野初江アドバイザーは、「自分史サロン」で自分史づくりの応援をしています。開設して1年半が過ぎ、作品が次々に生まれています。自分史サロンで自分史を作る楽しさを紹介します。
「自分史のゆりかご」のようなものがあれば、と
作り手と同じ目線で自分史を見守り、ともに歩む「自分史のゆりかご」のようなものがあれば、と2015年6月から毎月1回10時~12時、サロンを開催してきました。2016年4月15日には「自分史仲間が集う場」として『日経新聞』夕刊で取り上げられるなど、少しずつ仲間の輪が広がっています。
ゆっくり話を聴いたり語ったりできるようにと定員は6名です。参加費は3回一括で6000円(1回2000円)。3~6回参加で作品を仕上げることを目標に、1~2回で「自分らしい自分史をイメージする」、3~4回で「書く」、5~6回で「完成させる」、というステップで取り組むようアドバイスしています。河野が主催する自分史サロンで自分史作品を仕上げた人には自分史サロンマスターの称号を授与し、引き続き新しい自分史作品に挑戦するよう応援しています。
参加の皆さんに好評なのが、その日のサロン終了後に頂く一杯のコーヒーです。互いに持ち寄ったお菓子をつまみながら、またまた自分史談義と楽しい時間を過ごしています。
1年で2冊の作品が出来ました
嬉しいことに、サロン開設1年で2冊の作品が完成しました。冊子『かわたれどき』(藤井千穂子・著、A5判・42頁)と、和綴じ本『カンカン娘』(川中富士子・著、B5判・152頁)です。藤井さんはサロンに6回、川中さんは9回参加して、作品を作り上げました。藤井さんの『かわたれどき』は、すでに故人となられた弟さんとお父さん、そして夫との思い出が生き生きと語られている自分史作品です。
川中さんの自分史作りは最初、ノートに絵を描くところから始まりました。おばあさんがおやつ作りに使った黒い鍋、若くして死別したお母さんの顔、牛車に乗ったこと、大根の収穫を手伝って泥だらけになったかっこうで「カンカン娘」を歌ったこと、弟と競争で麦踏みをしたことなど、絵を描きながら昔の農村風景を私たちに語ってくれました。そのうち、どんどん文章が仕上がっていき、半年で152頁の大作となりました。お孫さんの「手書きのままがいい」という声を取り入れ、その風合いを生かした和綴じ本にすると決め、officeSAYAの長谷川智昭さんに装丁をお願いしました。
川中さんも藤井さんも自分史サロンマスターとして、引き続き新しい自分史作品に取り組んでいます。また、すっかり自分史の魅力に目覚めた藤井千穂子さんは、その後、認定講座を受講し、自分史活用アドバイザーとして皆さんの相談に乗っています。
サロンに通うことで着実に進む
サロンでは、回想シート、年表シート、ライフラインシートなど、手作りのシートを用意し、回想の手助けをしています。また、個別にヒアリングをし、自分史の構成づくりの手助けをしたり、原稿を読んでフィードバックしたり…ということをしています。どのような作品に仕上げればいいのか、といった質問を受けることも多く、いろいろな自分史の見本を用意して、その違いをお話ししています。
現在、また新たに3冊の作品が進行中ですが、皆独自の文章スタイルを持っており、手馴れたプロのライターとはまた違う、その方ならではの味わい深い世界を表現しています。アドバイザーとして何かを教えるというよりも、むしろ実際に自分史を書こうとしている方々に寄り添うことで、自分史の奥行きの広さや多様性、そしてそれを作品にする喜びと出会い、アドバイザーとしてのあり方を学んでいます。
自分史の個人指導サービスも実施
自分史は、自分で執筆する場合と、ライターに聞き書きを依頼する方法があります。聞き書きライターに依頼すれば、編集者やライターが進捗状況を管理するので、着実に制作が進みます。けれども、自分で執筆をする場合、進行管理者がいないため、ついつい先延ばしになりがちです。誰かに進捗状況を話したり、見てもらったりすることが必要であり、自分史活用アドバイザーの役割もまたそこにあると考えます。
これからも河野は、聞き書きライター兼自分史編集者として自分史と社史の執筆をお請けするとともに、自分で自分史を執筆したいという人に対しては、自分史サロンや、自分史の家庭教師のような役割を果たす個人指導サービスを行うことで、一人ひとりが自分らしい自分史と出会えるようにしていきたいと思っています。