
らしくラボ 作品紹介
らしくラボではそれぞれのスタイルにあった作品を提案し作成いたします。

自分の思いを言葉で残す
自分史
リーダーの思いを言葉で残す
自叙伝
時代を超えて伝え、受け継ぐ
社史
自分の思いを写真と言葉で
グラフィック自分史

らしくラボ「自分史」作品

『彷 徨
昭和二十年~三十年、我が十代の告白』
四六判 上製本 216ページ
著者 酒井透
10代のあの時こそ生きた瞬間だった
10代のあの時こそ、私が本当に生きた瞬間でした。80歳を超えた今その頃の体験だけは書いておきたい…。そう言って酒井氏は自分史相談に訪れました。それから8カ月かけて原稿を念入りに推敲し、編集を経て完成に至りました。

『時を綴りて』
四六判 上製本 168ページ
著者 石井勝子
自分史サロン作品
先祖に思いを馳せて
石井さんは「88歳までにつくりたい」ということで86歳から自分史サロンに通い完成されました。「私のルーツ」では父方の祖父の代までさかのぼり、国会図書館にも足を運ぶなどして書き上げました。「何かひとつ、やるべきことを成し遂げたように思える」との言葉に先祖のことを次の世代に伝えることができたことへの安堵の想いが溢れています。自作の作品を表紙にしたことで、さらにかけがえのない作品になりました。

『生かされて』
A5判 並製本 100ページ
著者 佐々木弥生
93歳の母へ、子供たちが贈った親の自分史
「やあちゃん」と呼ばれ愛されてきた93歳の女性の自分史です。子供が巣立ったあとの家を守ってきましたが介護施設に入ることになり、少しでも不安を和らげようということで子供たちが作って贈りました。「やあちゃん」が笑顔になるように、本人や父や母、兄や姉、女学校時代の友人の楽しげな写真が多く登場します。後半は結婚後のことが描かれ、「やあちゃん」の歩みを通して子や孫、ひ孫へと家族の歴史がつながりました。介護施設では本書をもとに会話が弾み、認知予防にも本書が生かされました。

『生命煌(きら)めいて』
四六判 上製本 152ページ
著者 丸野悦子
炎の夜、東京大空襲を生き抜いて
輝くスカイツリーを見ていると命からがら深川の町を逃げたことが夢のように思えてくる。町会全滅のなか、奇跡的に母と私の二人だけ生き残った。その一夜を知りたいという子供たちの声に応え、東京大空襲の夜を地図とともに再現。併せて、焼き尽くされる前の豊かで楽しい下町の暮らしと戦後の復興、はじけるような青春時代を通して生きる喜びを描き、生命の尊さを伝えている。

『漆黒の海
―母船式鮭鱒漁業船団航海記』
四六判 上製本 244ページ
著者 今田晴三
海の男の貴重な記録
昭和62年の師走、鮭鱒漁業の母船として活躍した仁洋丸が解体されることになり、著者は消えゆく船の姿を目に焼き付けます。本書は、その今田さんが、この洋上に浮かぶ工場の工場長として苦闘した日々を綴っています。題名は、「北の海は黒く、人を寄せ付けない冷厳さを有しているが、時には慈母のように優しかった」という忘れえぬ光景からきています。海の男の息づかいが伝わってくる貴重な仕事の記録であり、体験記。

『家族のうた 1』
四六判 並製本 342ページ
著者 髙橋満里子
家族への感謝にあふれた随想集
かけがえのない夫と歩んだ日々が消えずに残るならこんな嬉しいことはない。家族とそしてこれまで出会ったすべての人に感謝をこめて――。

家族のうた 2『峠の向こうに』
四六判 並製本 324ページ
著者 髙橋満里子
家族のうた1の続編となる随想集
人生は峠のようなものかもしれない。ならば私はこれからも、峠の向こうを思い描いて登っていこう。

『かわたれどき』
A5判 平綴じ冊子 42ページ
著者 藤井千穂子
自分史サロン作品
亡き夫を偲んで
藤井千穂子さんは、亡き夫のことを書きたい、ということで自分史サロンに6回通って作品を完成されました。子育ても終わり、これから一緒に人生の残り時間をという時に夫に先だたれ、あなたは「あの日あの時、何を考えていたの」と夫に問いかけてみたくなったのです。タイトルの「かわたれどき」は、かはたれぞ、と相手がさだかに見えない夜明けどきのこと。世の中が十分にわからない十代で結婚した千穂子さんの人生を表しています。

『カンカン娘』
B5 判 和綴じ 152ページ
著者 川中富士子
自分史サロン作品
母に捧げる幼い日の記憶
川中富士子さんは9回にわたって自分史サロンに通い、昭和の暮らしを描いた絵と、手書きの文字で作品を完成させました。子供たちを載せて歩む牛のなんと嬉しそうなことでしょう。泥だらけで歌う少女のなんと幸せそうなことでしょう。表題のカンカン娘は、農作業の合間にこの歌をうたった彼女を母がほめてくれたことに由来しています。「手書きのまま読みたい」そんなお孫さんの言葉に励まされ、本書は手書きのまま印刷し、和綴じ製本としました。


『落陽記』
A5判 平綴じ冊子 72ページ
著者 島野 文
自分史サロン作品
102歳、沈みゆく太陽のように
本書は大原英里子さんの義理の叔母、文さんの自分史です。英里子さんは文さんに亡き姑の面影を重ね長年寄り添ってきました。けれども100歳を超え今では介護施設で最期の日々を過ごすことに。そこで「こんなにも魅力的で、誇り高く生きた人であった」ということを知っておいて欲しい、ということで自分史サロンに通い、この作品をつくりました。本書は文さんのベッドのそばに置かれ、日々介護する職員の皆さんに語りかけています。

『私は救われていたい』
四六判 並製本 292ページ
著者 賢 空望
自分史サロン作品
賢者の言葉に導かれて
幸せを求めるのなら子供を見なさい。子供の中に答えがあります…と著者は書きます。全148編の片言隻句。これもまたひとつの自分史のカタチ。コロナ禍でしたが自分史サロンに1年間通って本書を完成されました。

『蒼天からの十六通の手紙』
四六判 並製本 272ページ
著者 前田郁子
発行 静人舎
定価 1,650円(税込)
過酷を極めた引揚げの様子を再現
1943年生まれの郁子さんは2歳のとき、中国大陸で終戦を迎えました。母親は当時身重で3人の子を抱えていました。うち一人は病気療養で入院中。困難をきわめた引き上げを郁子さんは母親の手紙と資料をもとに再現。「過酷な時代を生き延びた庶民の証言として多くの人に読んで欲しい」ということで、自費出版の道を選ばれましたので、書店やアマゾンでの注文が可能です。

『Miho 恥かき人生』
A5判 並製本 66ページ
著者 長島美保
親の歴史残し隊「家族日和」作品
企画運営 田和真由美
編集 河野初江
米寿の席で皆さんにお届けしました
88歳、米寿の祝いの席で配りたいということで、おつくりした作品です。口絵に著者がドレス姿でシャンソンを歌う姿を掲載するなど、美保さんの「らしさ全開」の自分史です。思い出の写真や絵画作品も口絵に収録したことでアルバムなど身辺の整理が進み、すっきりした気持ちで今の生活を楽しんでおられます。

『感謝をこめて 私の人生バラ色や』
A5判 並製本 156ページ
著者 石田須巳子
親の歴史残し隊「家族日和」作品
企画運営 田和真由美
編集 河野初江
家族にとっても、かけがえのない作品に
米寿を記念して「生きた証」としての自分史づくりに取り組みました。著者のルーツと歩みを、多くの写真とともに「感謝をこめて」書き記した作品です。作成にあたっては、お子さんたちが家族の思い出を書いたり原稿の確認をしたりと協力を惜しまず行ったことで、ご本人だけでなく家族みんなが嬉しい作品になりました。

句集『冬銀河』
四六判 並製本 100ページ
著者 村山和子
親の歴史残し隊「家族日和」作品
企画運営 田和真由美
編集 河野初江
法事の場で、故人の思いを伝える役目を
亡くなられた方が詠んだ句を、法事の場で参列者にお配りしたいということで、急遽編集し作成いたしました。コロナ禍で外出がままならない中、著者が老人ホームで折々の情景を思い出しながら詠まれた「追憶の句」ですが、冴えわたる冬の夜空に瞬く銀河の星の数々のように輝いています。

らしくラボ「自叙伝」作品

『かもめが翔んだ日』
四六判 上製本 296ページ
著者 江副浩正
発行 朝日新聞社
江副浩正氏と河野初江
30代半ばで私(河野初江)はリクルートを退職した。辞意を伝えたとき、リクルートの創業者である江副さんは、忙しいであろうにたっぷり時間を使って丁寧に引き止めてくださった。しみじみありがたかった。この恩は忘れない、会社を辞めても、何かがあった時には呼ばれて役に立つ人間になろうと思った。
ところがその日は意外に早くやってきた。リクルート事件が起き、そのさなかリクルートへの思いと自分の歩みを記した「リクルートへの手紙」を残したい、ということで江副さんに呼ばれた。力なく座る江副さんの前に座り、録音テープを回した。けれども、どのテープも江副さんの声を拾うことはできなかった。わずかに聞こえるのは何度もただ社員に詫びる言葉だった。
それから10年経って、もう一度江副さんから「今度こそ完成させる。手伝って」と声がかかった。依頼されたのは自伝づくりの執筆と編集作業である。江副さんの自伝は、大きく二つに分かれていた。前半は生い立ちからリクルート事件まで。後半は、江副さんが自身の保有株をダイエーに譲渡する顛末である。この後半部分が、まとまらないで残っていた。
江副さんの求めに応じて私は後半の原稿の執筆をサポートした。こうしてリクルートへの思いを伝えようと思い立ってから10年以上もの歳月を経て、2003年江副さんの自伝『かもめが翔んだ日』は完成し朝日新聞社から出版された。
ダイエーに株を譲渡するということは、リクルートが江副さんのリクルートではなくなることを意味していた。けれども当時、誰も江副さんの心情に思いを寄せる余裕がなかった。バブルが崩壊し、多大な借金を背負うリクルートが銀行の管理下に置かれるのを防ぐためにはどうしても強力な後ろ盾が必要だったが、社員の多くが、なぜそうしないと会社が生き残れないのか理解していなかった。
リクルート株を手放したその日、江副さんは浜離宮庭園に車を走らせ、かもめが群れをなして飛来するのを見つめ、ただひとり、リクルートに別れを告げる。タイトルの『かもめが翔んだ日』はここからきている。
その後、私は再び江副さんに声をかけられて、『リクルート事件・江副浩正の真実』(中央公論社)の本づくりを手伝った。リクルート事件・江副浩正の真実』は、密室での過酷な取り調べと、それをもとに作られる検察官調書に重きを置く司法制度への問題提起の書である。記述に間違いがあってはならない。1989年~1990年の新聞報道を読み込み、記述と照合しながら、江副さんとともに原稿を完成させる作業をした。
『リクルート事件・江副浩正の真実』は2009年、執行猶予が終わるのを待って中央公論新社から刊行された。初公判から20年以上かけて結実した江副さんが身を切る思いで「取り調べ」のあり方を社会に問いかけた渾身の作である。

次の世代に、自叙伝を残すことができるリーダーは幸せである。
あとに続く人がいることを、知っているのだから。
リーダーの自叙伝を読むことができる次の世代は幸せである。
先人が汗して得た知恵と体験を手にできるのだから。

臥龍記
『やらにゃあいけんじゃろ』
著者 岡﨑 浩
四六判 上製本 356ページ
著者 岡﨑 浩
どん底からの企業再建、起死回生の一代記
26歳でいきなり倒産寸前の会社の社長に就任、最先端の技術を持つ優良企業へと導いた経営者の半生記であり、会社再建40年の記録である。
金無し、仕事無し、技術無し、大借金あり。その会社が中国に工場をもつ会社にまで育った背景には、どのような理念があったのか。株式会社イノテックの岡﨑浩代表が次世代のリーダーのために語りつくした「小さな会社、ここにあり」の気概が胸を打つ経営の書である。完成と同時に社員がむさぼるように読み、関係会社や銀行から、社員教育に生かしたいということで問い合わせが殺到。急遽再販に走る事態となった。
創業型リーダーから次世代のリーダーへ。その理念を伝えるという重要な役割を果たすことになった本書。その執筆に関われたことを私(河野初江)は誇りに思い、また感謝している。

らしくラボ「社史」作品

株式会社セイタン
90周年記念誌

公益財団法人テルモ
科学技術振興財団
25周年記念誌

ドラパス株式会社
100年史

「グラフィック自分史」作品

『あなたがいたからできたこと』
書道家 遠藤夕幻 作品集
企画 遠藤夕幻 officemigi
編集 林建次 高橋実
デザイン 高橋実
写真・文 林建次
A4判オールカラー 112ページ
写真と文で半生を描いた作品集
なぜ書道だったのか、どこから影響されたのか。母の命と向き合った1年半から生み出されてきた作品の背景を掘り起こし、ひとつひとつを振り返ることで生まれてくるあらたな物語。そしてやがてこの書家は、この作品集のタイトルとなる書を、意味のある日に意味のある場所で、書くことになる。「あなたがいたからできたこと」
単なる書家の作品集という枠にとどまらず、ひとりの若者の向こう見ずな生き方と、その成長、そして消えゆく命と向き合った家族の物語。写真と文のまったく新しいドキュメントの手法により完成した作品集。(文・林建次)



『蒼き魂の躍動』
駒沢大学アメリカンフットボール部
2012年ドキュメント
編集 林建次 高橋実
デザイン 高橋実
写真・文 林建次
B5判 上製本 オールカラー 144ページ
たとえば80対1、という対峙
80対1というこれまでに経験したことのない対象と一気に向き合う。80人が散らばるフィールドに堂々と入って至近距離で撮っていく。これは私がこの距離で撮るということを認知させることと、「外からではなく精神的にも中に入っていきますよ」という意味だった。だから気を抜いているようだったら「その間抜けな姿も撮っちまうぞ」という、ある種の緊張も持たせることだった。
ハードヒットによって脳出血した同期。その同期はスタッフとしてチームをサポートする側に回り、その献身的な働きは誰もが認める存在になっていた。背番号は「16」。主将は最後の試合となる1部入れ替え戦という大舞台で、「16」と刻まれたシールを選手全員のヘルメットに付けるよう指示を出した。「16」が入ったヘルメットを被り、チームメイトが最後のフィールドへ駆け出していく。「お前も共に闘うの選手なのだ」という無言のメッセージ。同期は堪えきれず涙したのはいうまでもない。(文・林建次)