幸せの自分史づくり【忘れられない日】

本記事は自分史活用推進協議会のブログより転載しました。


「幸せの自分史づくり」でひとりでも多くの人を幸せに、と活動を続ける河野初江アドバイザーが、自分史のさまざまな魅力、書くことの意義を紹介します。
今回はその第2弾。

【忘れられない日】

誰にでも忘れられない日があるものです。それを書き記すことは次の世代に向けての貴重な証言となります。
86歳になる私の母がある日、「6月29日」と題した手紙を送ってきました。娘の私はさっぱりその意図がわからず、とまどうばかり。
「お母さん今は4月だけど?」と電話を。

母の返事を聞いて驚きました。その日は岡山大空襲があった日だったのです。
NHKの朝の連続ドラマで主人公が戦火を逃げ惑う姿を見ているうちに、自分の体験を書いておこうと思ったのだと言います。便箋には、18歳の母が祖母の手を引いて懸命に逃げまどった夜のことが克明に描かれていました。

目の前にあった道があっという間に火の海になり、それまでそこにいた人が一瞬にして消えてしまったこと、知り合いの方の手が真っ黒に焼け焦げていたけれどどうしようもなかったこと、運良く貨車の下に逃げ込み、寄せる火の粉を払いながら夜明けを待ったこと、夜明けとともに真っ黒な雨が降ってきたこと、それは壮絶な一夜の出来事でした。

私は初めて「6月29日」が自分の故郷にとって忘れがたい日であったことを知りました。
この日、岡山市街の大半が焼失し、死者1725人、重軽傷者927人、家屋喪失2万5169戸、焼け出された人は10万4606人に及んだ(『岡山県の歴史』山川出版社より)といいます。

「お母さんがその空襲で命を落としていたら私はこの世にいなかったね」「そうなのよ」。
大事な体験を娘に伝え終えたからでしょうか。電話口の母の声はどこかほっとしているようでした。